
はじめまして。理学療法士16年目のかたこりくんです。
ほんの数年前までスマホゲームにばかり時間とお金を費やしていた廃人セラピストです。しかし、今では転職と副業により理想の働き方に出会えることができました。
少しだけ、ぼくが変わるきっかけになった出来事を紹介させてください。
概要
新卒で入った病院でパワハラを経験し、一度は理学療法士として働くことに葛藤を感じた時期もありました。しかし、その逆境を跳ね返すポジティブなメンタルと、患者さんと向き合い培ってきた理学療法士としての確かなスキルを武器に、外部講師を務めるなど活躍の場を広げていきました。
結婚・出産を機に10年間勤めた病院を退職し、地元富山県の病院へ転職。人間関係に恵まれた温かい職場で、家族との時間も大切にできる安定した日々を送っていました。しかし、満たされた生活の中で「このままでいいのか?」という漠然とした刺激への渇望を感じ、一時期はスマホゲームに没頭し、お金と時間を溶かす日々を送っていました。
そんなぼくを大きく変えたのは、転職して3年目に衝撃を受けた女性上司の存在です。その方のスキルとカリスマ性に感銘を受け、スマホゲームを卒業。「自分のスキルがどこまで世の中に通用するのか知りたい!」という強い思いから、SNS副業に挑戦することを決意しました。
試行錯誤を重ねた結果、2年半でSNS総フォロワー数9.4万人を達成。SNSで出会った志高い仲間と共に『SNSコンサル』のオンラインサロン【スキラボ】を立ち上げるに至りました。
転職と副業への挑戦は、ぼくの理学療法士人生にまったく新しい扉を開いてくれました。これまでとは違う分野の人々との出会いや、SNS運用、マーケティングといった新たなスキルを身につけ、今もなお成長を続けています。
私の経験を通して、同じように「理学療法士としての働き方に悩んでいる方」「自分らしい働き方を見つけたい方」の転職や副業を全力でサポートしたいと思っています。
第一章:転職と副業で「理想の働き方」を見つけるまで
改めまして、理学療法士のかたこりくんです。
このブログでは、ぼく自身の波乱万丈なキャリアを通して、理学療法士やリハビリ職の皆さんが、より自分らしく、充実した働き方を見つけるためのヒントを発信しています。
新卒でのパワハラ、安定を求めた転職。そこから見つけたスマホゲームへの逃避、そして女性上司との出会いをきっかけにSNS副業へ挑戦。ぼくの経験が、今まさに「このままでいいのかな?」と仕事に悩むあなたの背中を押すきっかけになれば嬉しいです。
【職歴】「苦悩」と「転機」
1.苦痛のアルバイトバイトデビュー:初めて味わった「働く厳しさ」
ぼくが初めて社会の厳しさを知ったのは、18歳のアルバイト。友人に誘われた居酒屋は、想像を絶する忙しさと、イキった上司のパワハラが横行する場所。気づけば友人は姿を消し、一人取り残されたぼくは、心身ともに限界を迎え、1年で辞めてしまいました。初めての「働く」という経験は、苦い思い出として脳裏に刻まれました。
2.働く「楽しさ」を知る喜び:小さな成功体験がくれた「自信」
次に飛び込んだのは、スーパーの裏方での弁当詰め。単調な作業でしたが、20代から60代まで幅広い年代のスタッフが、皆優しく活気ある職場でした。恵まれた環境のおかげで、ぼくも自然と仕事に打ち込み、初めての「昇給」を経験!この時、「働くって楽しい」「頑張れば評価されるんだ」と、大きな喜びと自信を得ることができました。
3.理学療法士1年目:「希望」から「絶望」へ…パワハラの洗礼
国家試験に無事合格し、ドキドキと少しの自信を胸に、単身で他県の病院へ。理学療法士としての輝かしい仕事を夢見ていたぼくを待ち受けていたのは、まさかの「パワハラの嵐」でした。
「『癒着』の意味を調べてこい」と分厚い医学辞典を調べ、先輩に伝えたら「はっ!?なにこれ?全然違うんだけど!」と一蹴。眉間にシワを寄せ、睨むような先輩の威圧的な表情と声に、何を言われても頭に入ってこなかったのを今でも鮮明に覚えています。何が違ったのか、その理由は未だに分かりません。ただ「罵倒」され続けた苦い記憶だけが、脳裏に焼き付いています。
そして、業務終了後。「お前もう帰るの?オレより勉強してないのに?」この言葉に、当時のぼくは「全然わかりません。ぼくも一緒に勉強させていただきます」と答えるしかありませんでした。すでに20時を過ぎていました。この頃、毎日リュックに荷物を詰めて帰る作業が、本当に苦痛でした。
さらに、休日も安らぎはありませんでした。365日リハビリを行う回復期病棟に加え、「勉強会」「セミナー」「研修会」の誘いを断れないわたし。先輩上司からの一言「えっ?お前いっしょに行かないの?こんなすごい先生が話す会なのに?わかった!じゃあもう誘わないから」その言葉が返ってくる度に、ぼくは予定を変更し、無理をしてでも参加する日々でした。
4.パワハラを乗り越えて得たもの:理学療法士としての「強み」
ここまで読んでくださった方の中には、「なんて理不尽な…」「ひどい言い方だ…」と感じた方もいるかもしれません。正直な話、当時のぼくは毎日そんな想いを抱えていました。
しかし、不思議なことに、この先輩上司に出会えて良かったとも思っています。言い方や伝え方は問題があったものの、先輩の勉強への情熱や行動力、そして圧倒的なスキルは、まさに唯一無二でした。日々苦痛を感じながらも、食らいついていった結果、今のぼくの理学療法士としての知識と経験があるのは間違いありません。
この経験は、ぼくのネガティブ思考を跳ねのける「ポジティブ思考」を育みました。その結果、理学療法士のスキルアップだけでなく、スポーツ選手アスリートケア10年、高校野球「夏の大会」サポート活動11年、姿勢・運動評価のセミナー講師といった、院外での活動実績に繋がっています。
かたこりくん理学療法士としてのバイブル本
学生時代の教科書や参考書を含めて、この本ほど何度も読み返したものはありません!
【転機】結婚・出産、そして「新しい働き方」への模索
1.結婚・出産、そして「通勤時間」との闘い:10年勤続病院からの転職
29歳で結婚、31歳で長男が、その2年後に次男が誕生しました。実家の富山に住所を移したものの、愛着ある病院を離れたくなく、毎日高速道路を1時間かけて通勤していました。10年間勤め上げた病院が好きだったんです。
しかし、子供2人の育児と家事を考えると、通勤で往復2時間以上を費やすのは、時間もお金も無駄でしかありませんでした。そこで思い切って退職を決意し、地元富山県の病院へ転職しました。
2.「平和すぎる日常」による渇望:スマホゲームから副業へ
新しい職場で何よりも良かったのは、通勤時間が片道5分に短縮されたこと!往復たったの10分で、これまで妻に任せきりだった子供の保育園送迎もぼくが担当できるようになり、家族との時間が劇的に増えました。時間と心の余裕が生まれ、家族の笑顔も増加。職場でも、これまでの経験を活かし、患者さんや新しいスタッフと信頼関係を築くことに努めました。
給与も前の病院と同等か、少し増えるという最高の転職でした。生活に満足し、ぼくは平和な日常を満喫していました。
その結果、「何か刺激が欲しい」と、生まれた時間とお金をスマホゲームに溶かす日々が始まったのです。今思うとゾッとします。(でも、楽しかったのも事実…苦笑)
3.女性上司との出会いがくれた「感動」と「挑戦」のきっかけ
新しい職場で働き始めて3年が経った頃、スマホゲーム漬けの自分に、漠然とした危うさを感じ始めていました。そんなタイミングで、女性上司(管理職)との面談がありました。入社当時から、上司のずば抜けたコミュニケーション能力、業務管理能力、そして他職種への配慮に感銘を受けていました。
面談中、上司からの一言が僕の心を大きく揺さぶりました。「普通の仕事と違うことやってみない?」
それは、職員向けの「姿勢や運動診断」「健康・体操教室」といった、病院にとっても全くゼロからの新しい活動でした。自分のスキルを評価してもらえたこと、必要とされていること、何よりぼくを活かす場を与えてくださったことに、心から感動しました。
この経験は、ぼくの「自分の能力にどのくらいの価値があるのか、もっと知りたい。評価される場所に立ってみたい」という強い欲求を呼び覚ましました。
4.理学療法士が「数字で評価される」:SNS副業への挑戦
そこで思いついたのが、SNSでした。SNSは、発信内容によってフォロワー数、インプレッション、コメントといった「数字」で評価を即座に得られます。
これは、どれだけ自己研鑽を重ねても給与に反映されにくく、技術の評価が得られにくいと感じていた理学療法士にとって、まさに「挑戦の場」だと直感しました。
僕は、自身のスキルと経験を世に問うべく、SNSの世界へ飛び込んだのです。
あなたの「スキ」を「スキル」に、そして「成果」へ!
僕のこれまでのキャリアは、順風満帆とは言えませんでした。しかし、苦しい経験も、安定した平和な日常も、すべてが今の僕を形作る大切な要素となっています。
このブログでは、僕が経験してきた転職のリアルや、SNS副業で結果を出すまでの道のりを余すことなくお伝えします。
「スキ」を「スキル」に、そして「スキル」を「成果」に。
理学療法士として、リハビリ職として、より豊かなキャリアを築きたいあなたを、僕は全力で応援します。ぜひ、僕と一緒にあなたの「理想の働き方」を見つけませんか?
第二章:先生と呼べる人との「であい」

